事実

主に最悪だったこと、たまに最高だったこと

飲み会セッティング黙示録

 

僕が働いている会社には確か同期が40人くらいいる。まあまあ仲良い人もいれば、まあまあ関係が浅い人もいて、同期って別にそういうもんだからそれでいいし、それでやっていける。

 

一昨年の冬、まあまあ関係性の浅い男の同期から、僕の職場と同じフロアにいる女性とどうしても飲みたいのでセッティングしてほしい、と頼まれた。

僕は武士なので「会いたい女がいるなら、己で声かけて、ふたりで会ふがよろし」と常々断り続けており、僕自身も、例の女性とはそんなに話したこともなかった。

自分が間に入る必要性もほぼ感じられず、正直そんなに気乗りしなかったけど、来る日も来る日も頼まれて、遂に「仕方ないか」、「1回やれば終わるだろう」と観念して、なんとかかんとか、飲み会をセッティングした。

 

飲み会は、場所の用意だけは同期がしてくれたんだけど、そこそこ有名な老舗の焼き鳥屋さんを予約してたらしく、また、そこそこ話したことあるもうひとりの女性もくることになって、僕自身もそこそこ前向きに当日を迎えられた。

 

当日である。

僕は焼き鳥屋さんにいちばんに到着した。「きょうをいちばん楽しみにしているみたいで、ちょっと嫌だな」などと思いながらお品書きを見ては、同期が来るのを待っていたが、同期は結局約束の時間から、小1時間、遅れてきたのである。

この時点で僕の心のなかに住んでいるギャルが「ありえんくね?」とキレ始めていたのだが、仕事の都合なんかもあるんだろうと思って静かに焼き鳥食べていたし、ビールのおかわりとかもした。

 

僕は女性ふたりを目の前にそこそこつまらないトークでその場を凌いで同期の到着を待ち、やっと4人で乾杯できた。

同期は到着した時点でまあまあ緊張していて、大酒のんで人見知りを爆発させており、当たり障りのない話留まりだったが、そこそこ会話も途切れず時間が過ぎていき、一次会を締めることになった。

 

さて、同期はというとやはり話し足りないらしく、二次会に行きたいとのことで、僕自身もまだもうすこし飲みたかったし、なにより今日はそういう趣旨なので、4人で二次会に向かった。

 

そのへんにあったテキトーなイタリアンの居酒屋に入ったが、ここからが本当の地獄であった。近年稀に見るナイトメアの始まりである。

 

僕の同期は一次会からイタリアン居酒屋に向かう途中で急激に酔いが回ったらしく、楽しさも相まって異常なテンションになり始めていた。

僕もそこそこ飲んで酒が回っていた感じがあったけど、自分よりもガツガツに酔っ払っている人を見ると、急に正気でいられた。

 

それでも二次会は粛々とはじまり、一次会の話の続きだったり、世間の話だったりで30分くらいがあっという間に過ぎていったのだが…

 

ある時、同期が僕に対して

 

「なんかてつ2ろうって、かわいい」

「なんかてつ2ろうって、守ってあげたくなる」

 

といいながら、目をクシャクシャにして僕の頭を撫で始めたのである。男性の同期が。

同期は、異常に僕をかわいがるセリフをいいながら、頭を撫でる。

それを女性たちにちゃんと見えるように繰り広げる。

そう、何を隠そうこの行動は、同期から意中の女性に対して、包容力を誇示する手段だったのだ。

 

世間の話をしていたわりに、急にガッツリ恋愛の雰囲気を出し始めた同期。イキナリ独壇場である。

 

この場に於いて僕は、ちっちゃなハムスターである。

かわいいかわいいと頭を撫でられては、包容力を発表するために巨大な滑車に乗せられて、どこにいくともわからず滑車のうえを走らされている。

僕はちっちゃなハムスター。

 

無力なハムスターと意中の女性を前に、同期はとても気持ちよくなっている。

同時に、すごく気持ち悪くもなっている。

 

何より無力なのは、意中の女性と同席している男性が、慈愛に満ち溢れた笑顔で、別の男性の頭を撫でている、という気持ち悪い構図の中に入れられていることである。

 

そんな応酬をくりひろげて満足したのか、同期は手洗いのために席を立った。

僕自身はやっと空気を変えられると思ってせいせいした気持ちで飲み物のおかわりを頼んだり届いているつまみに手をつけたりした。

 

しかしその後10分、20分立っても同期は、手洗いから帰って来ないのである。

店にはトイレがひとつしかなく、そろそろ周りにいるトイレをつかいたい他のお客さんにも迷惑がかかり始めており、呼びに行っても全く応答がない。中で寝ているのである。

 

なんとも無力である。

この場においても僕はちっちゃなハムスター。

強大な人間の前には、成すすべもなく滑車のうえを走り回ることしかできない。

トイレのドアをノックしては、席に戻り女性たちとの場を繋ぎ、しばらくたってトイレをノック。

滑車のうえのハムスター。

 

もうバカバカしくなって、お店の人謝っている頃に同期が出てきたのだが、なおも僕の頭を笑顔で撫でるという一連のアピールを続けようとしており、もはや奇行である。

この時点ではもう僕の心のなかに住んでいるギャルは、ブチギレてお家に帰ってメイクを落とさずに寝ていた。

 

トイレの神様と化した同期をなんとか回収し、お勘定とかも済ませてそそくさとお店を出るや否や、同期はタクシーを捕まえて足早に帰宅した。

よっぽど具合悪かったんだろう。

 

僕は同期の意中の女性のタクシー代を支払い、方向が同じだったもうひとりの女性と同じタクシーに乗り帰宅した。

(いっしょにタクシーに乗った女性の分も払おうとしたけど「さすがに最悪すぎるからこっちのタクシー代は絶対私が払うよ」と言ってくれて、さいこうだった。)

 

翌日、職場で使っているチャットに同期からメッセージが来ていた。

同期「〇〇さんのタクシー代…」

ぼく「おれが払ったよ。」

同期「ごめん!楽しかったね!またいこう」

 

 

 

行くか、ボケ!!!

 

 

🐹

 

 

乳首にまつわる性の話

 

「男女の感じ出すのうぜー」

 

この吐き捨てゼリフをとある先輩から言われたのは、

人生の夏休みの真っ只中、天下無敵の大学1年生の冬である。

 

いまこの記事を読んでくださっている皆さんは、

冒頭のこのセリフの背景にどんな場面を思い浮かべながら見てくれているだろう。

 

 

このセリフを言われているとき、

何を隠そう、私は、

 

乳首を触られていたのである。

 

 

第3回目の投稿となる今回は、

この、悲しく、聞きなじみのない奇妙なセリフにまつわる苦情混じりの思い出。

 

 

 

親離れもできていないようなひよっこ1年生の私は、

地元から遠く離れた場所で華の学生生活をスタートさせた。

毎日ぴよぴよ鳴きながら。

 

愛情が詰め込まれた口なじみのある料理を毎日食べ、

なまぬるい部屋で怠惰に過ごしていた青すぎる僕は、

新しい暮らしについての爽やかな希望というよりは、

右も左もわからない、漠然とした不安が頭の中に住んでいて、

後にも先にも、あの春独特の心の持ちようだった。

 

でも単なるほろ苦い気持ちは、

単位をとりやすい講義はどれだとか、

どの組織の新歓にいくべきかとか、

ごく普通の大学生活をたどたどしくこなしていくことで、

また、無二の友人たちと過ごす中で

1日、また1日と忘れていった。

 

僕は、大きめのサークルに2つ所属することにした。

ドデカサークルの中には、いろんな性格のひとがたくさんいて、

誰と誰が付き合った」とか「彼女いるやつが浮気してた」とか

練習終わったらどこに飲みに行く」とか。

毎日そういうことで大忙しだった。

 

所属している2つのサークルのうち、

片方のサークルに所属しているひとのなかに、

自身のセクシャリティについて結構主張する感じの先輩がいた。

 

僕自身はそのひとについてあまり深くは理解していなかったけど、

本人のSNSだったり、飲み会の中の話題とかで聞いたことがある。

 

個人的にはLGBTについて、特に理解がある人間でも、

偏見を持っている人間でもないつもりでいたが、

こういう主張をする人と知り合いになったことは、

短い人生の中とはいえ、初めてである。

 

一定の距離間の中で普通の先輩後輩の間柄だったが、

 

それは、あまりに突然にやってくる。

 

いつものように練習があったとある冬の日、その先輩に、

 

すれ違いざまに、乳首を触られたのである。

 

すれ違いざまの、一瞬にである。

ドデカサークルの活動場所である、ドデカ講義室の真ん中で。

 

何の脈絡もない。

先輩から後輩への、お戯れだろう。

 

僕は、一瞬のお戯れのあと、一瞬で足りない頭をフル回転させた。

 

どういうリアクションがいいんだろう

 

足りない頭からは正解を計算することはできず、

「えっ!」という発声と同時に照れた顔をする

という、

芸人なら相方に楽屋でブチギレられているであろう返しを選択したけど、

僕は平凡で人よりひねくれているだけの学生なので判定はセーフのはずだ。

 

こんなやりとりをスピーディーにこなせば、

 

 先輩の、先輩による、先輩のための、

 

地獄のリアクション採点タイム

 

の到来である。

 

いやな間があるのを感じたあとに先輩がいった言葉は、

 

 

「男女の感じ出すのうぜー」

 

 

 だった。

 

敗北した。

「乳首イジりリアクション選手権」に。

 

しかも、なんならちょっとキレさせているのである。

先輩を。

 

5秒前に、僕の乳首をイジってきた先輩が。

キレているのである。

 

キレているのである。

乳首を触った側が、キレている。

 

 

どうやら僕に出されたお題は、

 

セクシャリティにも配慮した笑えるリアクションをしろ!!」

 

だったようだ。

メイドインワリオかよ。

 

では、以下、

正答の範疇では?

と考えられるリアクションたちをご覧いただこう。

 

・「アリガトウゴザイマス!」とバカデカい声で言う

・真顔で乳首をいじりかえす

・スイッチ入った感じの顔して服脱いでジカで触ってもらう

・そのまま乳首でイく人の真似をする

マジで乳首でイく

 

があげられる。諸説あり。

この他、有力な解答があればコメントや、お便りでご連絡いただきたい。

 

あて先は、

sexuality-nani-ga-seikai-yanen?@vodafone.ne.jp

まで。

 

 

 

この記事をあげるかどうかめちゃくちゃ迷った。

人にまつわる性の話は、難しい。

 

ちなみにこの先輩は、僕に合格を出さなかったけど、

この時以外は、卒業まで僕を無下にすることはあまりなかった。

 

当時から最近まで、この話については、

「かなりの熱量で怒れる」

とコスりまくっていたが、ここに供養させていただきたい。

 

きっとこの話の場面は、

僕が死ぬとき、走馬灯の真ん中くらいにでてくる。

 

そのときは死にながら、乳首でイク。

 

卒業プロジェクトと嘘

 

前回に続いてキラキラ少年期について語りたい。

 

小学生のころの僕は、小太りで瓶底メガネ、こだわりは近所の床屋でスポーツ刈りという絵に描いたようなとっつぁん坊やである。

もちろんクラスの人気者ではなかったが、自他ともに認める大真面目小学生であった。

 

音楽の時間では、口の開きが素晴らしいということでひとり教壇に立たされ、皆の手本として天使の歌声を宇宙に向かって響かせた。

 

もちろん宿題だって忘れず、先生から直々に依頼された学級新聞は責務と認識し矢継ぎ早に刊行するほどに聞き分けがよかった。

 

児童会役員選挙では、満を持して出馬し政界で手腕を振るおうとしたこともある。

(※ビジュアル面にカリスマ性がゼロだったので、惜しくも憧れの議席を逃す。)

 

真面目一本。

 

そんな僕のクラスには障がいを持っているお友だちがいた。カタカナの読み書きと、人の気持ちを察することが苦手だと先生が教えてくれたことがある。

彼が写真で見せてくれたレゴブロックの観覧車は、圧巻の一言あった。

 

学級新聞では彼から、「あなたの助手になりたい」と直訴され、彼のコーナーを設け、共に取材に励んだり、週に1度の楽しみであるクラブ活動も同じクラブになったりしていた。席替えの座席で構成される班までずっと同じだった。

恐らく先生がそのように何らかの調整をしていたのかもしれない。

疑問に思うことは日々、多々あったが僕は一貫してそのことを受け入れており、暗黙の了解の中で責任が生まれたのだと理解していたのだと思う。

めちゃくちゃ大人かよ。

 

 

小学6年生の卒業間近、先生たちの提案で、学年にとあるプロジェクトが発足する。

「卒業制作プロジェクト」である。

 

卒業に向け、皆で華々しく想い出を残そう、学校への恩返しをしよう、在校生に「6年生ここに在り」と行動を起こそうという趣旨である。

学年の全員が希望のチームに所属し、緻密な打ち合わせをもとに実行に移す。

 

僕は先生方の方針に、大賛成である。

真面目一本。万歳。

 

「何をするか」という議題で開かれた学級会では、色とりどりの魅力的なテーマが立案されていく。

 

・小学校生活の思い出を作詞作曲する

・校内放送で思い出映画を実演する

・各学年と体育館で遊ぶ集会を設ける

 

などなど…

 

職人気質の僕は「思い出雪像作成プロジェクト」が最も魅力的だと感じた。

 

北海道の北の方の小学校だったので、校庭に山のように積まれた雪を自由に使い、思い出の1場面をテーマに雪像を作成する、というものだ。

「思い出雪像作成プロジェクト」に心を奪われて止まない。意志が揺らがない。

 

ところが、「誰がどこに所属するか」を決める学級会の日、僕は病欠してしまった。

だが何の心配も要らない。

 

担任の先生に「思い出雪像作成プロジェクト」に参加したいという熱意を事前に伝えていたからである。(かなり変わった子だな。)

 

なので病欠した日も「ああ、今日はなんのプロジェクトをやるか決める日だったな」くらいにしか思っていなかった。

 

余裕シャクシャク、スイカシャクシャクである。

 

(?)

 

 

翌日、幸いにも病を乗り越えた僕は元気な姿で瓶底眼鏡を輝かせ、丸い体で登校した。

 

僕は先生に呼ばれ、衝撃の事実を伝えられる。

 

雪像プロジェクト、なくなっちゃったから他のプロジェクトでもだいじょうぶかな」と。

 

「折り紙プレゼントプロジェクトにはちょうど空きがある」と。

 

衝撃だ。

 

衝撃だが仕方ない。理由があるんだろう。雪像作りの難しさとか。寒すぎるとか。先生の言うことには逆らったことがなかったので、年の割に大人びた理解で僕は突如出現した「折り紙プレゼントプロジェクト」の可能性をやすやすと受け入れた。

 

そんな経緯で所属がきまったプロジェクトの初会議の日、僕は更に受け入れ難い事実を2個目の当たりにする。

2個も。

 

1つめは、

「折り紙プレゼントプロジェクト」は、障害をもっているあのお友だちと、8人の女子で構成されたチームだったこと。

 

2つめは、

「思い出雪像作成プロジェクト」が存在していることだ。

 

まず、前者について。

 

僕はこのときに、『こども社会に存在する「大人の事情」』を察した。ああ、また先生による調整が入ったのかと。この不条理を甘んじて受け入れた。

 

ちなみに8人の女子というのは、仲良し4人組2チームで構成されたキラキラ青春ユニットである。

2グループ間で、

「なぜ(とっつぁん坊やを含む)男がふたりいるんだ」と言わんばかりの戸惑いの雰囲気を電波で共有している。

(その気持ちめちゃくちゃわかる。)

 

僕は建前上、真面目さを買われ、女子たちが立候補しなかったこのチームのリーダーに擁立され、就任する。

 

僕がつんく♂秋元康だったら、この子たちを危うくデビューさせてしまうところだった。

 

 

そして、後者について。後者について……

 

『こども社会に存在する「大人の事情」』を甘んじて受け入れたと先ほど書いたばかりだ。

 

しかし、いくら見てくれがとっつぁん坊やで真面目な僕であっても、この事実を「先生の嘘」と認識せざるを得ない部分だって勿論ある。

少なからず「どうして…」と思う。

 

でもこの出来事に関する釈明を教師に求めることは、結局できなかった。

 

折る。

いろんな想いをゴクリと飲み込んで、あじさいだとかハトだとか。

 

卒業の何日か前、

「感謝の気持ちを折り紙にしたのでプレゼントします」

リーダーとしていろんな学年の子たちに手渡しした記憶を最後に、このプロジェクトは達成された。

 

 

今になって思う。

「〇〇くんが折り紙プロジェクトで一人だから、申し訳ないけどそっちに入ってもらってもいい?」

と言われたら、違う達成感があったのでは、と。

 

でも、そういうことを受け入れられるような子であったことを、褒めてあげたいとも思う。

 

もっとも自分がかわいいので。

 

 

小太り小学生だった時

 

小学生のとき太っていた!!

 

太っていたと言っても、曲がりなりにも大人になった今の僕に言わせれば小学生らしく、健やかで伸びやか、すくすくとした美しいともいえる小さな太りである。

 

もし当時の僕と今の僕が出会うことがあれば、甘辛い菓子の数々と虫歯の素になるジュースをこれでもかと買い与えることだろう。

宿題をきちんとやり、よく食べよく眠る小学生は自分とはいえ、可愛いので。

 

ただしこどもの世界は、今の僕が当時の僕を可愛がるように、小学生の僕が太っていることに関して甘くはない。

 

今でこそ、26歳の僕を溺愛し、帰省するたびに部屋にプレゼントを準備している過剰に優しい姉でさえ、当時の僕を容赦なく「ブタ」と呼ぶほど、いやに厳しい世界なのだ。

 

盆地に佇む古臭い公立小学校の中で、僕が太っているという小ネタは比較的メジャーな事実となっていった。勿論、僕自身の中でも。メジャーすぎて逆に忘れるときもあるくらい。

 

高学年のある日寝て起きて学校に行ったら、仲良くしていた同級生から、仲間はずれにされていた。

 

遠くからしっかり聞こえるようにいやみうらみつらみを言われたり、先生に期待されて意地になってつくっていた学級新聞が意地悪く目の前で捨てられたり、体型を揶揄する実にかわいらしい絵を描かれたりした。

 

体型を気にするがあまりに、急遽プール授業を休んだらそのメンバーも全員プール授業をサボっていて教室で魔の2時間をすごすハメになったこともあった。

 

少年!?運、悪すぎでは!?

 

好んで仲良くしていた同級生は、ある日を境に油断も隙も、おちんちんも見せられないほどの恐怖の塊になってしまったのだ。おちんちんも。

 

さて、どうしよう…どうしたものか…

僕はその日から来る日も来る日も答えが出るわけのない人間関係へ思いを馳せていた。

 

仕事にいく準備をしている大好きな母親が、玄関で「学校にいかなくてもいい」と優しく包んでくれる朝も多々あったが、ツルピカハゲ丸祖父の仏壇に線香をあげ、

(楽しく過ごせるように、おねがいします…)

と、神頼みならぬ、至極私事な仏頼みを捧げて、鉛の如く重い足取りで小学校に向かっていた。

 

小太り小学生なりに、「負けてはいけない」

と思ってたのかどうかは今でもわからない。

 

当時の僕に声をかけてあげられるなら、

「頑張ってくれてありがとうございます」

などという愛の言葉の数々を繰り返し贈りたい。

 

多少なりともいまの僕の人格や考え方に悪い影響を与えられた出来事であるのは事実だが、「どうにかこうにかやる」ということを覚えてくれたからだ…

 

後々になり知った事実だが、

仲良くしていた同級生のメンバーの中のひとりと、僕が好きな女の子が一緒だったらしく、威嚇射撃的な意味合いも込められていたらしい。

 

小太り小学生に威嚇射撃すな。

 

僕は別の同級生の中に入れてもらって遊び、憂鬱で多感な小学生時代をクリアすることができた。

 

当時仲良くしていただいた天使のみなさん、ありがとうございます。

 

悩みごとは、小学校を卒業するまでの間、思い出したかのようなタイミングで、途切れ途切れ続いたが、悪魔の時期は、時間による解決という形で、特別な「乗り越えた感」もなく終わりを迎えた。

 

小太り小学生に対する興味は、彼らが成長する過程で、別の関心事に侵略されることで薄れていったんだろう。

 

中学生になると部活を始め、

母親からは「コツコツ」と表現されるほど痩せに痩せた。

毎年正月に会える叔父さんからは

「おじさんもテニス始めるカナ!?」

と言われたりしていた。

貴方は今からでもいいので始めなさい。

 

体型のことや仲間はずれのことよりも、どこの高校に入れるんだろうとか、好きな子からメールが来るかどうかとか、雨降ったから部活が休みになるかもしれないとかそんなことで日々はいっぱいいっぱいになっていった。

 

幸いなことに高校時代も大学時代も実に華やかで、青臭く、勤勉にして怠惰、欲望に満たされた日々を送った。

 

いまや小太り小学生時代に仲間はずれにされたことは、とっくに過去の出来事となり、客観的に分析できるほどである。

 

そんな20歳の冬、成人式で僕は再会してしまうのである。

 

当時僕を仲間はずれにしたチームのリーダー格の男と。当時の顔つきのまま大人になった彼らしい彼と。

 

稀代の運悪少年だった僕が、奴とばったり出会うだけで終わるはずがない。

 

あろうことか、彼は僕の隣の座席を選んだ。

市の偉い人の有難い話とか、自衛隊吹奏楽の演奏を聴いたり、地元の信金に勤めてる同級生が大人の決意表明をする姿を観る席に、僕の隣を選んだのである。

 

なんで!?

 

当時の出来事を客観的に分析できる僕でも、そんな彼の思考回路については分析できなかった。

 

悩んでいた当時、彼を目の前にして怖さで緊張したように、似たような感覚が全身を駆け抜けたが、彼は一貫して異常に気さくであった。

 

恐らく、当時の彼には「嫌がらせしていた感覚」は一切なかったんだろうなーと解釈することにした。

あと、いじめにせよ、嫌がらせにせよ「した側」はその事実を水に流して忘れがち、と聞いたことがあったので、そんなもんかと納得した。

 

隣に座った彼は、矢継ぎ早に質問をしてくる。

小太り小学生以上に、今の僕に興味があるんだろうか。

 

僕から質問することはなかったが、彼はとりとめもない質問を何往復もする。とても長い時間だ。

 

彼は僕に聞く。

「大学でどんな勉強をやっているのか」と。

細身大学生となった元小太り小学生の僕は

「経済学や商学の勉強をやっている。」と返す。

「じゃあ同じだ。」と彼。

 

僕は初めて彼に質問をする。

 

「なんていう大学に通っているの。」

 

と。

 

彼はいう。

あまり賢そうではない大学の名前を。 

否、知っている。まごうことなき、有数の賢くはない大学である。

 

僕は学歴、出身校などで善し悪しを判断してはいけないと、親や先生が教えてくれたのを覚えている。本でも読んだしテレビでも聞いたことある。それにそういう考え方はあまり好きではない方だ。

 

頭では理解しているが、当時、小太り小学生が涙目で毎日闘っていた映像が脳みそを通過して、小太り小学生を庇いたくて仕方がない。

 

「同じではないかもね!」

 

祖父の仏壇に祈りを捧げていた小太り小学生だった僕は、いやに気さくな彼に、そう言ってしまった。

 

これが当時の出来事の影響で形成された、曲がりくねった人格なのかもしれないと、思っている。

 

思っているが、こんな自分を嫌いではない。

 

さらになんと、今、僕は、人生でいちばん、太っている。