事実

主に最悪だったこと、たまに最高だったこと

小太り小学生だった時

 

小学生のとき太っていた!!

 

太っていたと言っても、曲がりなりにも大人になった今の僕に言わせれば小学生らしく、健やかで伸びやか、すくすくとした美しいともいえる小さな太りである。

 

もし当時の僕と今の僕が出会うことがあれば、甘辛い菓子の数々と虫歯の素になるジュースをこれでもかと買い与えることだろう。

宿題をきちんとやり、よく食べよく眠る小学生は自分とはいえ、可愛いので。

 

ただしこどもの世界は、今の僕が当時の僕を可愛がるように、小学生の僕が太っていることに関して甘くはない。

 

今でこそ、26歳の僕を溺愛し、帰省するたびに部屋にプレゼントを準備している過剰に優しい姉でさえ、当時の僕を容赦なく「ブタ」と呼ぶほど、いやに厳しい世界なのだ。

 

盆地に佇む古臭い公立小学校の中で、僕が太っているという小ネタは比較的メジャーな事実となっていった。勿論、僕自身の中でも。メジャーすぎて逆に忘れるときもあるくらい。

 

高学年のある日寝て起きて学校に行ったら、仲良くしていた同級生から、仲間はずれにされていた。

 

遠くからしっかり聞こえるようにいやみうらみつらみを言われたり、先生に期待されて意地になってつくっていた学級新聞が意地悪く目の前で捨てられたり、体型を揶揄する実にかわいらしい絵を描かれたりした。

 

体型を気にするがあまりに、急遽プール授業を休んだらそのメンバーも全員プール授業をサボっていて教室で魔の2時間をすごすハメになったこともあった。

 

少年!?運、悪すぎでは!?

 

好んで仲良くしていた同級生は、ある日を境に油断も隙も、おちんちんも見せられないほどの恐怖の塊になってしまったのだ。おちんちんも。

 

さて、どうしよう…どうしたものか…

僕はその日から来る日も来る日も答えが出るわけのない人間関係へ思いを馳せていた。

 

仕事にいく準備をしている大好きな母親が、玄関で「学校にいかなくてもいい」と優しく包んでくれる朝も多々あったが、ツルピカハゲ丸祖父の仏壇に線香をあげ、

(楽しく過ごせるように、おねがいします…)

と、神頼みならぬ、至極私事な仏頼みを捧げて、鉛の如く重い足取りで小学校に向かっていた。

 

小太り小学生なりに、「負けてはいけない」

と思ってたのかどうかは今でもわからない。

 

当時の僕に声をかけてあげられるなら、

「頑張ってくれてありがとうございます」

などという愛の言葉の数々を繰り返し贈りたい。

 

多少なりともいまの僕の人格や考え方に悪い影響を与えられた出来事であるのは事実だが、「どうにかこうにかやる」ということを覚えてくれたからだ…

 

後々になり知った事実だが、

仲良くしていた同級生のメンバーの中のひとりと、僕が好きな女の子が一緒だったらしく、威嚇射撃的な意味合いも込められていたらしい。

 

小太り小学生に威嚇射撃すな。

 

僕は別の同級生の中に入れてもらって遊び、憂鬱で多感な小学生時代をクリアすることができた。

 

当時仲良くしていただいた天使のみなさん、ありがとうございます。

 

悩みごとは、小学校を卒業するまでの間、思い出したかのようなタイミングで、途切れ途切れ続いたが、悪魔の時期は、時間による解決という形で、特別な「乗り越えた感」もなく終わりを迎えた。

 

小太り小学生に対する興味は、彼らが成長する過程で、別の関心事に侵略されることで薄れていったんだろう。

 

中学生になると部活を始め、

母親からは「コツコツ」と表現されるほど痩せに痩せた。

毎年正月に会える叔父さんからは

「おじさんもテニス始めるカナ!?」

と言われたりしていた。

貴方は今からでもいいので始めなさい。

 

体型のことや仲間はずれのことよりも、どこの高校に入れるんだろうとか、好きな子からメールが来るかどうかとか、雨降ったから部活が休みになるかもしれないとかそんなことで日々はいっぱいいっぱいになっていった。

 

幸いなことに高校時代も大学時代も実に華やかで、青臭く、勤勉にして怠惰、欲望に満たされた日々を送った。

 

いまや小太り小学生時代に仲間はずれにされたことは、とっくに過去の出来事となり、客観的に分析できるほどである。

 

そんな20歳の冬、成人式で僕は再会してしまうのである。

 

当時僕を仲間はずれにしたチームのリーダー格の男と。当時の顔つきのまま大人になった彼らしい彼と。

 

稀代の運悪少年だった僕が、奴とばったり出会うだけで終わるはずがない。

 

あろうことか、彼は僕の隣の座席を選んだ。

市の偉い人の有難い話とか、自衛隊吹奏楽の演奏を聴いたり、地元の信金に勤めてる同級生が大人の決意表明をする姿を観る席に、僕の隣を選んだのである。

 

なんで!?

 

当時の出来事を客観的に分析できる僕でも、そんな彼の思考回路については分析できなかった。

 

悩んでいた当時、彼を目の前にして怖さで緊張したように、似たような感覚が全身を駆け抜けたが、彼は一貫して異常に気さくであった。

 

恐らく、当時の彼には「嫌がらせしていた感覚」は一切なかったんだろうなーと解釈することにした。

あと、いじめにせよ、嫌がらせにせよ「した側」はその事実を水に流して忘れがち、と聞いたことがあったので、そんなもんかと納得した。

 

隣に座った彼は、矢継ぎ早に質問をしてくる。

小太り小学生以上に、今の僕に興味があるんだろうか。

 

僕から質問することはなかったが、彼はとりとめもない質問を何往復もする。とても長い時間だ。

 

彼は僕に聞く。

「大学でどんな勉強をやっているのか」と。

細身大学生となった元小太り小学生の僕は

「経済学や商学の勉強をやっている。」と返す。

「じゃあ同じだ。」と彼。

 

僕は初めて彼に質問をする。

 

「なんていう大学に通っているの。」

 

と。

 

彼はいう。

あまり賢そうではない大学の名前を。 

否、知っている。まごうことなき、有数の賢くはない大学である。

 

僕は学歴、出身校などで善し悪しを判断してはいけないと、親や先生が教えてくれたのを覚えている。本でも読んだしテレビでも聞いたことある。それにそういう考え方はあまり好きではない方だ。

 

頭では理解しているが、当時、小太り小学生が涙目で毎日闘っていた映像が脳みそを通過して、小太り小学生を庇いたくて仕方がない。

 

「同じではないかもね!」

 

祖父の仏壇に祈りを捧げていた小太り小学生だった僕は、いやに気さくな彼に、そう言ってしまった。

 

これが当時の出来事の影響で形成された、曲がりくねった人格なのかもしれないと、思っている。

 

思っているが、こんな自分を嫌いではない。

 

さらになんと、今、僕は、人生でいちばん、太っている。