事実

主に最悪だったこと、たまに最高だったこと

卒業プロジェクトと嘘

 

前回に続いてキラキラ少年期について語りたい。

 

小学生のころの僕は、小太りで瓶底メガネ、こだわりは近所の床屋でスポーツ刈りという絵に描いたようなとっつぁん坊やである。

もちろんクラスの人気者ではなかったが、自他ともに認める大真面目小学生であった。

 

音楽の時間では、口の開きが素晴らしいということでひとり教壇に立たされ、皆の手本として天使の歌声を宇宙に向かって響かせた。

 

もちろん宿題だって忘れず、先生から直々に依頼された学級新聞は責務と認識し矢継ぎ早に刊行するほどに聞き分けがよかった。

 

児童会役員選挙では、満を持して出馬し政界で手腕を振るおうとしたこともある。

(※ビジュアル面にカリスマ性がゼロだったので、惜しくも憧れの議席を逃す。)

 

真面目一本。

 

そんな僕のクラスには障がいを持っているお友だちがいた。カタカナの読み書きと、人の気持ちを察することが苦手だと先生が教えてくれたことがある。

彼が写真で見せてくれたレゴブロックの観覧車は、圧巻の一言あった。

 

学級新聞では彼から、「あなたの助手になりたい」と直訴され、彼のコーナーを設け、共に取材に励んだり、週に1度の楽しみであるクラブ活動も同じクラブになったりしていた。席替えの座席で構成される班までずっと同じだった。

恐らく先生がそのように何らかの調整をしていたのかもしれない。

疑問に思うことは日々、多々あったが僕は一貫してそのことを受け入れており、暗黙の了解の中で責任が生まれたのだと理解していたのだと思う。

めちゃくちゃ大人かよ。

 

 

小学6年生の卒業間近、先生たちの提案で、学年にとあるプロジェクトが発足する。

「卒業制作プロジェクト」である。

 

卒業に向け、皆で華々しく想い出を残そう、学校への恩返しをしよう、在校生に「6年生ここに在り」と行動を起こそうという趣旨である。

学年の全員が希望のチームに所属し、緻密な打ち合わせをもとに実行に移す。

 

僕は先生方の方針に、大賛成である。

真面目一本。万歳。

 

「何をするか」という議題で開かれた学級会では、色とりどりの魅力的なテーマが立案されていく。

 

・小学校生活の思い出を作詞作曲する

・校内放送で思い出映画を実演する

・各学年と体育館で遊ぶ集会を設ける

 

などなど…

 

職人気質の僕は「思い出雪像作成プロジェクト」が最も魅力的だと感じた。

 

北海道の北の方の小学校だったので、校庭に山のように積まれた雪を自由に使い、思い出の1場面をテーマに雪像を作成する、というものだ。

「思い出雪像作成プロジェクト」に心を奪われて止まない。意志が揺らがない。

 

ところが、「誰がどこに所属するか」を決める学級会の日、僕は病欠してしまった。

だが何の心配も要らない。

 

担任の先生に「思い出雪像作成プロジェクト」に参加したいという熱意を事前に伝えていたからである。(かなり変わった子だな。)

 

なので病欠した日も「ああ、今日はなんのプロジェクトをやるか決める日だったな」くらいにしか思っていなかった。

 

余裕シャクシャク、スイカシャクシャクである。

 

(?)

 

 

翌日、幸いにも病を乗り越えた僕は元気な姿で瓶底眼鏡を輝かせ、丸い体で登校した。

 

僕は先生に呼ばれ、衝撃の事実を伝えられる。

 

雪像プロジェクト、なくなっちゃったから他のプロジェクトでもだいじょうぶかな」と。

 

「折り紙プレゼントプロジェクトにはちょうど空きがある」と。

 

衝撃だ。

 

衝撃だが仕方ない。理由があるんだろう。雪像作りの難しさとか。寒すぎるとか。先生の言うことには逆らったことがなかったので、年の割に大人びた理解で僕は突如出現した「折り紙プレゼントプロジェクト」の可能性をやすやすと受け入れた。

 

そんな経緯で所属がきまったプロジェクトの初会議の日、僕は更に受け入れ難い事実を2個目の当たりにする。

2個も。

 

1つめは、

「折り紙プレゼントプロジェクト」は、障害をもっているあのお友だちと、8人の女子で構成されたチームだったこと。

 

2つめは、

「思い出雪像作成プロジェクト」が存在していることだ。

 

まず、前者について。

 

僕はこのときに、『こども社会に存在する「大人の事情」』を察した。ああ、また先生による調整が入ったのかと。この不条理を甘んじて受け入れた。

 

ちなみに8人の女子というのは、仲良し4人組2チームで構成されたキラキラ青春ユニットである。

2グループ間で、

「なぜ(とっつぁん坊やを含む)男がふたりいるんだ」と言わんばかりの戸惑いの雰囲気を電波で共有している。

(その気持ちめちゃくちゃわかる。)

 

僕は建前上、真面目さを買われ、女子たちが立候補しなかったこのチームのリーダーに擁立され、就任する。

 

僕がつんく♂秋元康だったら、この子たちを危うくデビューさせてしまうところだった。

 

 

そして、後者について。後者について……

 

『こども社会に存在する「大人の事情」』を甘んじて受け入れたと先ほど書いたばかりだ。

 

しかし、いくら見てくれがとっつぁん坊やで真面目な僕であっても、この事実を「先生の嘘」と認識せざるを得ない部分だって勿論ある。

少なからず「どうして…」と思う。

 

でもこの出来事に関する釈明を教師に求めることは、結局できなかった。

 

折る。

いろんな想いをゴクリと飲み込んで、あじさいだとかハトだとか。

 

卒業の何日か前、

「感謝の気持ちを折り紙にしたのでプレゼントします」

リーダーとしていろんな学年の子たちに手渡しした記憶を最後に、このプロジェクトは達成された。

 

 

今になって思う。

「〇〇くんが折り紙プロジェクトで一人だから、申し訳ないけどそっちに入ってもらってもいい?」

と言われたら、違う達成感があったのでは、と。

 

でも、そういうことを受け入れられるような子であったことを、褒めてあげたいとも思う。

 

もっとも自分がかわいいので。